ソロモン・アッシュは、1907年9月14日生まれのポーランドの社会心理学者です。
アッシュは1920年アメリカに渡り、ブルックリン大学やプリンストン大学等で教授職を務めました。
アッシュはゲシュタルト心理学を創始したウェルトハイマーの影響を受け、情報の各要素は相互の関連の中で意味づけられるべきであると考え、社会心理学も同様に個人心理学に還元することはできないし、すべきでないと主張しました。
これは、各個人の心理的な状態がいくら集まったとしても、それによって社会の状態が明確化されるわけではないということです。
アッシュはこの考え方に基づいて、人間の印象形成における初頭効果や特定のパーソナリティ特性の効果について検討しました。
また、集団における多数派の誤った判断が個人の判断に大きく影響するという同調行動に関する実験を実施したことでも有名です。
アルバート・エリスは、1913年9月27日生まれのアメリカの心理学者、心理療法家です。
コロンビア大学で臨床心理学の学位を得たのち、心理カウンセリングの分野で活躍しました。
エリスはホーナイ派の精神分析の訓練を受けてニューヨークで心理療法のクリニックを開業していました。
しかし、1955年に精神分析から離れ、行動療法や一般意味論、実存主義、プラグマティズムなどの影響を受けながら、ABCDEスキーマ(シェマ)という独自の理論を構築し、論理療法(合理情動療法)を発展させました。
その後、エリスは論理療法(合理情動療法)を発展させ、ニューヨークで論理療法(合理情動療法)の研究所の所長を務めました。
チャールズ・スピアマンは1863年9月10日生まれのイギリスの心理学者です。
スピアマンは学生時代から心理学を専攻していたわけではなく、一旦は軍隊に入隊し、その後、34歳で心理学への興味・関心を強めたといわれています。
スピアマンは科学的な心理学の先駆けであるヴントの下で心理学を学び、1904年に学位を取得しました。
1906年からイギリスのロンドン大学の心理学実験室主任に就任し、同大学の教授となりました。
スピアマンはロンドン大学からアメリカに移住し、そこで児童の知能検査を実施し、その検査結果について、順位相関をはじめとする統計的分析の手法を確立しました。
「スピアマンの順位相関係数」は心理統計学の分野で非常に有名であり、スピアマンといえば、心理統計の専門家としての功績が高く評価されています。
また、スピアマンが提唱したスピアマン = ブラウンの公式は、知能の二因子説は後の因子分析や多次元解析の基礎となっています。
佐久間鼎は1888年9月7日生まれの日本の心理学者・言語学者です。
千葉県で生まれた佐久間は、1913年に東京帝国大学(現在の東京大学)の文学部を卒業し、1923年に文学の博士号を取得しました。
佐久間はドイツに留学し、ベルリン大学でケーラーの指導の下で、ゲシュタルト心理学を学び、帰国後にゲシュタルト心理学を日本に紹介し、その普及に努めました。
また、ゲシュタルト心理学における場の概念を言語学の分野に応用し、独創的な日本語指示詞の「コソアド論」を提唱しました。
さらに、佐久間は禅の心理学的研究にも関心を示しました。
そのため、1968年には駒澤大学で教授を務めました。
1925年に九州帝国大学(現在の九州大学)の初代の心理学講座担任教授を務めました。
1949年に九州帝国大学を退官し、1952年に東洋大学の教授として、心理学と国語学を担当し、1960から1963年までの3年間、東洋大学の学長も務めました。
佐久間は心理学者・言語学者としての功績が評価され、1965年に紫綬褒章を授与され、1966年には日本学士院会員に選ばれました。
この記事を執筆・編集したのはTERADA医療福祉カレッジ編集部 「つぶやきコラム」は、医療・福祉・心理学・メンタルケアの通信教育スクール「TERADA医療福祉カレッジ」が運営するメディアです。 医療・福祉・心理学・メンタルケア・メンタルヘルスに興味がある、調べたいことがある、学んでみたい人のために、学びを考えるうえで役立つ情報をお届けしています。