グランヴィル・スタンレー・ホールは1844年2月1日生まれのアメリカの心理学者です。
ホールは1867年にアメリカのウィリアム大学を卒業後、ユニオン神学校に進学します。
そこで、ヴントの『生理学的心理学綱要』という著作に感銘を受け、心理学の研究者としての道を志すようになります。
ホールはまず、アメリカ国内で当時、最先端の心理学教育と研究を実施していたハーヴァード大学に1878年に入学し、ウィリアム・ジェームズに指導を受けました。
ジェームズはハーヴァード大学で医学・生理学・心理学・哲学を学んだ後、それを教授する立場にもなっている優秀な科学であり、心理学分野では特に感情の末梢起源説(ジェームズ = ランゲ説)を提唱したことで有名です。
そんな、ジェームズの下で研究活動をしていたホールは、アメリカ史上最初の心理学の博士号(学位)を取得者となりました。
当時、心理学研究の最先端はドイツなどのヨーロッパであり、ホールが感銘を受けたヴントもドイツで活躍していました。
ただ、ヨーロッパでもまだ心理学はこの頃、黎明期であり、ヴントがライプチヒ大学に世界で最初の心理学実験室を設立するのが1879年なのです。
これは、ホールがハーヴァード大学に入学した1年後なので、アメリカもヨーロッパも、どちらも心理学がやっと科学的な学問分野の仲間入りを果たすか、果たさないかという境界線の段階だったわけです。
ホールは博士号取得後に、憧れでもあったライプチヒ大学のヴントの下に留学し、直接、ヴントから指導を受けています。
ヴント自身も心理学研究に従事する前は、医学と生理学を専門としていたので、そこはジェームズとも共通する部分があり、ホールの研究の方向性とも一致していたのではないかと思われます。
ドイツ留学から帰国後、ホールはアメリカのジョンズ・ホプキンズ大学の教授に就任します。
そして、1888年にはクラーク大学の初代総長に就任し、1920年まで在職しました。
また1892年には、アメリカの心理学全般に関する専門家の学術団体であるアメリカ心理学会(APA)を組織し、その初代会長に就任しています。
さらに、American Journal of Psychology 等の心理学の学術雑誌を刊行するなど、アメリカの心理学界の組織化に多大いなる貢献をしています。
もう1つ、ホールの大きな功績の1つとして、アメリカに精神分析および精神分析療法を紹介したということが挙げられます。
ホールは1909年にクラーク大学の創立20周年記念式典に、精神分析の創始者であるジークムント・フロイトをはじめとする精神分析の専門家たちを招き、講演の機会を与えました。
精神分析は1890年代後半から1900年代初頭にかけて、フロイトを中心に研究・実践が進められていましたがが、当時、ヨーロッパの医学界からは、ほとんど見向きもされていない状態でした。
加えて、現在でも精神分析の問題点として挙げられる、科学性(再現性・客観性・反証可能性)が担保されておらず、医学を含めた学術界隈全般からも、ほとんど注目されていませんでした。
先進的な内容を含むものの、精神分析には独自の用語や、独自の概念が多く、またそれらは客観的な観察や数値データから確認することが非常に難しいものでした。
しかし、ホールはそんな精神分析にも注目し「どんなモノなのか?」「どういった位置づけなのか?」「どんな意義があるのか?」などについて、創始者であるフロイト本人に講演させることで、多くの人に伝えるきっかけ作ったのです。
実際に、アメリカにおいて、精神分析が社会的認知を得る契機となったのは、クラーク大学で行われた講演からであると言われています。
ホールは草創期の心理学研究に従事した多くの専門家と同様、様々な心理学分野の発展・普及に貢献しています。
主な専門分野として、教育心理学・児童心理学・青年心理学・宗教心理学などであり、また、応用心理学の振興にも尽力しています。
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