明治時代に心理学はどのような位置づけで研究が進められていたのでしょうか。
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日本には365日の全てに何らかの「記念日」が制定されています。9月8日は『 「明治」改元の日』に制定されています。これは1868年9月8日から元号が明治となったことに由来しています。また、この時から新天皇の即位時に改元し、天皇の在位中には元号を変えないという「一世一元の制」が定められました。それ以前は、天皇の在位中にも災害など様々な理由により改元が行なわれていたこともありましたが、令和の現在まで「一世一元の制」が継続されています。
「明治」という元号の由来は中国儒教の経典『易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」という言葉が語源となっています。意味としては「聖人が北極星のように顔を南を向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる」というものです。実はこの「明治」という元号は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されていて、通算11度目にして採用されたものでした。
では、明治時代に心理学はどのように研究が進められていたのでしょうか。
明治時代は西暦では1868年から1912年までの45年間に該当します。この時期に活躍していた専門家として、西周先生がいます。西周先生に関しては、心理学の専門家というだけでなく“歴史上の偉人”として、日本史を勉強する中でも名前が出てくるくらい有名です。そのため、時代もぐっと古い歴史的な要素を含む来歴となっています。
西先生は津和野藩(現在の島根県)に生まれ、幼時は儒学を専修したものの、さらにオランダ語・英語を学び、江戸幕府からオランダのライデンに派遣されて法学・経済学の個人教授を受けました。明治維新後は明治政府に任用され、陸軍省翻訳局や文部省学制取調御用掛を務め、明六社に参加するなど近代日本の学術・政治の現場で活躍されました。西先生は心理学者のヘイヴンの著書である『Mental Philosophy(1857)』を1875年から1879年にかけて『心理学』という日本語訳で翻訳したことで知られています。実は「心理学」という日本語は西周先生の発案であり、私たちが学んでいる学問領域に名前をつけた人なのです。つまり、心理学という日本語自体が初めて誕生したのが明治時代だったといことになります。
このように、西周先生の功績もあり、明治時代に心理学という日本語が誕生します。ただし、まだ、誕生しただけの段階であり、心理学を大学で学ぶような状況になるのは、明治の終わりからになります。有名な草創期の日本の心理学者の先生方も、明治の終わりごろに20代になり、やっと大学に入学した時期です。では、海外では、この時期に心理学はどのように研究されていたのでしょうか。
1868年から1912年までの45年間は、海外においても心理学は草創期の時代であるといえます。たとえば、ヴィルヘルム・ヴントはドイツのハイデルベルク大学で医学と生理学を専攻した後、1875年からライプチヒ大学で教授を務めるようになります。この際、ヴントはライプチヒ大学の哲学部に所属していましたが、ここに実験心理学のための世界最初の心理学研究室を開設しました。このヴントが実験室を開設した1879年が科学的な心理学の幕開けであり、学問としての心理学のスタートであるとされています。そして、科学的な心理学の研究や実験が進められる中、1896年にヴントの弟子である心理学者のライトナー・ウィットマーが世界初の心理クリニックをアメリカのペンシルベニアに開設します。その少し後に「臨床心理学(clinical psychology)」という用語を初めて用いたのもウィットマーです。従って、科学的な心理学の幕開けも、心理カウンセリングやカウンセリングルームの誕生も明治時代に海外で起きていたということになります。
このように、心理学はちょうど明治時代にその基礎が確立され、大正・昭和・平成・令和と現在まで発展を続けているのです。
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