心理学において、意識とは「ものを見る、話を聞く、おかしくて笑う、計画を練るなど、我々が直接的に心の現象として経験していること、そしてその経験を“私が経験している”と感じることのできることの総称」と定義されています。
意識内容は意識する当人のみが経験することができるものであり、その内容は、言語などで表現し、知識として共有し、文化として蓄積することができます。
しかし、その瞬間、瞬間の経験そのものを本人以外の他者が直接的に知ることはできません。
たとえば、「昨日まで、ニューヨークに旅行に行っていた」という経験は、他者に対して話したり、写真を見せたりすることはできるものの、ニューヨークで実際に経験・体験したことを、他者と完全に共有することはできません。
このように、直接的な意識経験は常に「私の意識」という性質をもつのとなっています。
つまり、意識現象は極めて特殊な現象であり、その都度、ただ一回限りの出来事であるということができます。
そのため、意識は物理学や化学、生物学などの自然科学の対象として客観的に研究する素材ことはできないという問題があります。
結局、主観的なものでしかなく、他の人からは完全に把握することも、共有することもできないからです。
このような意識の持つ特徴が科学的な研究対象から敬遠されがちな大きな理由でした。
心理学でも意識を研究テーマとして直接に取り上げることは、長年、避けられがちでした。
しかし、自己モニタリングの研究など、意識の働きを心理学的に捉えようとする試みは現在も続けられています。
心理学の中でも、科学的な見地から意識を研究するという立場とは異なる観点から意識を研究している分野もあります。
最も有名かつ初期から研究しているのが精神分析の分野です。
精神分析の創始者であるフロイトは、人間の精神は意識・前意識・無意識の3つで構成されていると述べました。
意識は自分自身でまさに“意識する”ことができる表層的な部分です。
前意識は“意識しようと努める、注意を向ける”ことで分かる部分です。
前意識は記憶という概念とも近く、思い出そうとすれば思い出せる過去の経験・体験や、現在進行形の様々な知覚情報などが該当します。
そして、無意識は本人にも自覚することができない部分であり、抑圧されて意識することができない部分であるとしています。
ただし、この精神分析における意識の考え方はフロイトが“想定”したものであり、科学的にこの3つの構造が発見されたり、メカニズムが解明されたりしたわけではありません。
科学的な検証は難しいものの、精神分析はフロイト以降もいくつかの学派に分かれながら、意識に関する研究を続けています。
フロイトとともに精神分析の代表的な研究者であるユングは自著である『タイプ論』の中で、個人の意識の働き方が外向性・内向性という向性と、心の基本的機能である思考・感情・直観・感覚という概念を通じて詳細に検討しています。
しかし、フロイトやユングを代表とする精神分析の分野でも、研究者自身の自己意識に対する理解が独自の観点からなされているケースも多く、提唱者ごとに異なった理論が生まれており、科学的に取り扱いにくいという問題があります。
そんな、意識に対する研究に関して、1990年にアメリカで「脳の10年宣言」が上院で議決されました。
これは、脳や神経という生理心理学・解剖生理学的な観点から、意識について真剣に研究に取り組もうという試みです。
これをきっかけに、世界的に脳研究が進められてきており、脳神経系のメカニズムの解明はずいぶんと進んできました。
フロイトが提唱した精神分析による意識の考え方については、こころ検定2級(メンタルケア心理士)のテキストであるカウンセリング基本技法の第6章で概観していますので、興味・関心のある方は、是非、勉強してみていただければと思います。
この記事を執筆・編集したのはTERADA医療福祉カレッジ編集部
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